2011-03-20

東日本大震災を受けて

とても悲しい出来事が日本で起こりました。

2011.3.11 東日本大震災。

1週間が経ちました。
1週間経ってやっと物資が届きまじめました。
対応の遅さにとても気持ちがやきもきしました。
かといって自分は何もできないはがゆさ。

震災後1日目は、こんな時にお店を営業してもいいのか?他にできることは無いのか?とか、
自問自答を繰り返し葛藤の中、今は募金を集めるというカタチで少しでも力になれればという想いと、
神戸は震災があって復興した街。
この街のみなさんの想いをビシビシと感じ、まずは近くの人を大切にしたいと想い、
お店を営業しています。

一人でも多くの方が救済されることを本当に心より願います。

今はただそう願う限りです。それしかできません。

私は普段よりユニセフを通じ、ハイチへの支援の為の募金を続けていますが、
今回の震災よりユニセフにも、東日本大震災緊急募金 口座が設置されましたので、
お店を通じて集まったお金は、そちらへ募金します。
ユニセフの支援活動は、http://www.unicef.or.jp/kinkyu/japan/
で、報告しています。
私ができないけど、すぐにしたい支援をユニセフは、現地のみなさんと一緒に協力してやって頂けていると思っています。

そして今私達に大切なことは、どこの団体が良い悪いではなくて、現実から目をそらさないことだと思う。
今回の大震災を受け、半世紀ぶりにユニセフが日本を支援するということは、
それだけ今回の大震災が世界的に深刻な出来事だということ。世界の支援が必要だという現実。
そして、同じように深刻な出来事が世界のどこかで起こっているという事実。
日本より世界の方が、現実に目が向いている。

日本は豊かで支援されることに違和感があるかのように、ユニセフへのバッシングがネット上で起こっている。
すごく悲しい。
日本で起こったことのように、悲惨な出来事が日常で起こっている国への支援がどうして悪なのか?
日本が復興するまでは、きちんと日本で募金も使われると思う。
もし、万が一他の国で使われるとしても何年か先の話。

苦しんでいる人を支援するのに、お金の使い先がどうとか、どこの団体がどうとかそんなことはうわべの体裁で、
自分がその立場なら、私が被災者なら、名目はどういういう理由でも誰でもいいから、助けてほしい。
そして、助けていただいた人ならどんな人でも団体でも感謝する。
申し訳ないけど、助けてほしい。
怪我してる家族を助けてほしい。
行方不明の家族を捜してほしい。
寒いからカイロや毛布がほしい。
お腹が減るからごはんがほしい。
もっと切実なはず。
国でもユニセフでも赤十字でも、テレビの募金でも個人の募金でもなんでもいいから、
助けてほしい。

国が法律で動けない。
法律が邪魔して日本として支援ができない。
そんな馬鹿な事が起こっている日本。

やりきれない1週間だった。
これからも続く。

と、感情的な私です。。。
頭冷やさないと。。。と思いつつ3日経っても悲しみが収まらなかったので、
日記に書く事にしました。

先ほど新たに救出された人がいると連絡頂いた。
希望はまだまだあるので、支援の輪がひろがりますように。

2011-03-07

くじらとイルカの街 太地町へ

最近、ドキュメンタリー映画『The Cove』のDVDが、和歌山県の 太地町の住民に無差別に送りつけられたニュースをみて、
以前から映画を観るにあたって、どういう気持ちでみたらいいのか分からないわぁって事を、
旦那に話したら、近いし行くのもいいんちゃうと。
と、言う事で行ってきました。 太地町。

神戸から梅の街、畜産の街、観光の街を抜け、着きました くじらとイルカの街。 
『ようこそ!くじらとイルカの街』という看板と、くじらとイルカのオブジェに迎えてもらいました。
”くじら博物館”以外には何もない、とても小さな漁港町でした。

まずは、”くじら博物館”へ。
中に入ると大きなクジラの骨と昔々の捕鯨の様子を再現した模型に出迎えられました。
よくもこんな大きなクジラを食べようと、捕えようとしたもんだなぁと、昔の人を感心しました。
原始時代にマンモスを石器で捕える様なもので、しかも海。めっちゃアウェイ。。。。すごすぎる。

捕鯨には、日本捕鯨→アメリカ捕鯨→ノルウェイ捕鯨の歴史があり、その説明や、当時使っていた器具や船の展示がありました。
日本の捕鯨の発展には、諸外国の協力があってのことでした。

資料館の外にでると、イルカショーやクジラショーなどやっていました。
鯨は、イルカほどの大きさのもので、イルカと同じようにショーをしていました。
この土地では、イルカも鯨も同じなんだなぁと感じました。

横のいけすでは、イルカに餌をあげたりできるんだけど、ここがものすごくフリーダムで、
200円払ってバケツに入った餌をもらうと、あとはお好きにどうぞ〜と、鯉に餌をあげるような感じで、
好きにイルカに餌をあげることができました。
となりのいけすでは、鯨が自由に泳いでるし、こんなにも自然に自由にイルカや鯨と触れ合える場所があるなんて〜と嬉しくなりました。
それくらい、太地町ではイルカも鯨も昔から馴染み深いんだなぁと思いました。

その奥には、古代帰りしたバンドウイルカがいました。
元々、四つ足だった後ろ足が退化して、今のイルカになったけど、このイルカはその後ろ足の名残りなのか、
腹びれがついています。

鯨やイルカをたっぷりと感じる事ができる”くじら博物館”を後にして、漁港を探しました。
ガソリンスタンドで聞いたらすぐわかりました。
たくさんとまっている船の中に捕鯨船らしきものが2隻ありました。
この漁港で昔々から鯨やイルカが水揚げされてたんやねーと話ながら、思いを巡らせました。
目の前に漁港スーパーで、イルカ肉売ってたので鯨のお惣菜と一緒に買いました。
レジでは、先日のニュースで話題になったDVDが不要な方は回収しますとの張り紙が。
お年寄りも多い、普通の漁港町。
一方的に送りつける事で、かなり恐怖を感じた方々も多かったのでは?と感じた。
街の人達も可愛そうだと思った。

太地町へ行って思った事は、昔々の太地町の人達にとっては、イルカや鯨はたまたまその土地で生息し、
獲れたので食料として食べてただけなんだなぁと。ごく自然なこと。
牛や豚と同じ。
牛や豚の解体するところは室内であまり世間に知られることはないけど、イルカや鯨は海。
The Coveのように、海が真っ赤に染まる映像とかは本当に残酷にみえるけど,
それはイルカや鯨に限った事じゃないし、たまたま海だから目立つ。というだけのこと。

神戸でいうと六甲山牧場へ行ったあとに、ジンギスカンを食べるのと同じ感覚だと思った。

そんな表面的なことよりも、単純に食べ物を粗末にせず、ありがたく頂く気持ちの方が大切だと思った。
あらゆる野菜や動物にも”命”があると思う。
その命を粗末にしないで、ありがとうの気持ちを込めて食べることの方が優しいのではと思う。

もちろん、無駄な摂取や絶滅するほどの捕鯨や狩猟、収穫は良くないし、それはまた別の話だけど,
あらゆる生物が生きて行くためには、食べなくてはいけないし、それによって育まれる命があると思う。
人も含めて食物連鎖だ。人だけが特別でもないと思うし。

自分だけのの主張をすると、いろんな意見があり対立が起こると思う。
でも、表面に踊らされるのではなくて、自分の目を通して根本的に本当は何が大切なのか?を
感じることができたらいいんじゃないかなと思った。

そんな太地町でした。
とても良い街で、また夏に行きたいなぁ。
水がとってもキレイで印象的な街。

『太地町立くじらの博物館』http://www.town.taiji.wakayama.jp/hakubutukan/index.html